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次の場所へのプロセス

いろいろ話しそびれてるので、興味ないかもしれませんが例の今の自分のプロセスを書きます。
あの、あれですよね。フランス行くって決めた話してないですよね。……してませんね、多分。

なんか夏から、これは書いた?なんか人生激動期の友達と頻繁に会ってる間に、お互いにものすごい速度でどがんどがん変化していって、とはいえ私はまだ別に何か大きく物事が変わるわけじゃないし、なぁ〜。とか言ってた9月初旬頃、突然、「なぜ私は今までこの国で画家としての活動を一切しなかったのか?」て突然ですよ。思って。
て、思った瞬間に「この国はデザインはレベル高いけど、ペインティングのレベルが本当に低いので、全くモチベを持つことができなかったから」という答えは瞬時に出て来て。「じゃあ、どこならやる気出るの?どこでだったら、玉砕覚悟で、それでも自分の美学をぶつけて試そう、挑戦しようって思えるの?」と自問自答したら、これも即座に答えが出たんです。「フランス」。って。
簡単じゃないだとか、難しいことに目を向ければ、それはいくらでも出て来ます。枚挙に遑がないとはまさにこのことでしょうね。でも、それじゃダメなんです。それをしてても人生は動かない。私は、自分の美学が必ずいつもフランスに結びついていたことを思い出して、それを信じてみることに決めたんです。

でね。
昔から私が抱えてた地味な悩みが「フランス語の音がすごく嫌い」…だったんです。
文学も好き、映画も好き、美術はもちろんこの世で一番好きで…。いろんな国や時代の絵がバーッと並んだ展示で、あっこの絵だけいいな、これだよ、これが芸術ってものなのだよ、と20分ぐらい穴があくほど一枚の絵だけを見つめて、やっとキャプションを見たら「フランス」って書いてある……なんていうことばっかりだった私の人生。好きな画家、圧倒的にフランスが多いんです。現代美術を初めて心から素敵だと思えたのも、パリで一人で美術館巡りしてた時でした。好きな画材も、これいいな〜、もうこのメーカーさえあればいいよ、て思ってパッて見たらフランス製、とか、ザラです。もちろん、音楽も、食べ物も、バレエも、オペラも…。これまた枚挙に遑がありません。
そう。それなのに。
なぜか私はフランス語が嫌いだった。
旅行でパリに行き、ホテルに着いてテレビをつけると、音が気持ち悪くて30秒で消してしまった、というぐらい嫌いで。
なんでなんだろうか…。でもこの薄暗いような気持ちは、恐らく過去生に根ざしているというのは分かってたんですけど、なんか…掘ってはいけない泉を掘り返してしまうような…そんな気がして、怖くて触れない部分だったのです。

なんですけど。フランスに行く、と決めてしまったから。フランス人がどれほど英語を喋りたがらないか、フランス語をしゃべるだけでどれほど外国というものが掌を返すか、私は知っているので…。フランス語を、やるしかない。マジで読めないフランス語を。何度聞いてもさっぱり覚えられないアイツを。どうにも嫌悪感を拭えない、アイツを。やらねばならない。
……………。どうしたもんか。この気持ちの理由はやっぱり、思い出さねばならぬ。

というわけでですよ。
職業人会で透香さんに、その話をしてたんです。ついでに、全くの別件の話もしてて、とある友人についての悩みで。「無邪気な人間が正直どうしても許せない。その無邪気さが時に人を残虐に殺すことがのだと、あいつらは知らないのだ。私はただの悲観主義者ではなく、その危険性を言ってるだけなんだ…」という話をしてたんですよ。そしたら、透香さんが「あ、その話とフランス語嫌いの話、繋がってますね」と。……おぉ、さすが本職だよ…。本職はいうことが違うね……って茶化すのはともかく…、言われてみたら私の中で妙にすとんと「あっ、ほんとだ」て符合した感覚があり。そこからちょっと、掘り下げてみたんです、二人して。けっこうさらっとすごい情報出てきちゃって、びっくり。でも納得。

で結論から言うと、魔女狩りを目の当たりにして人類に全く希望を抱けなくなった晩年、という生涯を送った、教会関係者…というか、教会直属の教会専門建築家の男性。の過去生が、あまりにも自分の中で重すぎて、辛すぎて、思い出すことすらも封じていた模様。
この建築家ってのがまた面白くて、すんなり記憶が出てきたんですが、この場所にこの向きでこういう高さでこういうデザインのを立てて、石の材質はこういうのがいいからこっから取り寄せろ、あ絶対ここに出入り口つけろな、こっから神様入ってきて通るから。みたいなことを言ってジャジャジャッと建築図書いて、じゃっまた見にくるから。て現場の人間に任せてまた次の場所へ仕事に行く、ていう人。面白いでしょ。(笑)チャネラーと建築と美術を全部同時にやってたんですよ。…今と同じでしょ?(笑)同じなんです。。建築、だったんです。「この場所にこういう向きでこういうのを建てろ」っていう。もちろん全ての計画は神がどう言ってるかを聞き、受け取って、形にしていました。やっぱり世界各地、どの土地にも「例脈」みたいなものがあるので、でも風水とかの専門家じゃないですしオフィシャルには言えない事項なので、表向きは「本能でわかる」ぐらいの感じにしといて、実は完全に神託でやっていました。すごい有機的ですね。あと、今と同じです…。わたし、旅行に行って神社や教会を見るのが大好きなんですけど、ちょっと見方が変なんですよ。いつも「いやーそうそう、ここなんだよ、この場所ね!で、こうきて、こうね!そう!」って、なんというかこう、「その土地に対するこの神社の立ち方」みたいなのをいつも見ちゃうんですよ。あまりにも普通にそれしか見てないからなんでかなと思ったこともなかったんですけど、この過去生見てから、いつも旅行に一緒に行く母にこの話したら「あ、そういえばあんたいっつもそういうこと言ってるわよね。不思議なこと言うなーと思ってたのよ」ですって。うん。だよね。。
あと、全くの余談なんですけど当時珍しくないのかむしろ珍しいのかよく分からないんですけど、ゲイで、パートナーは男性でした。そいつ今もフランスにいるらしいので、探し当てないといけないんですけどね…。まったくね。ははは。待ってろちくしょう…。

あと、今書いてて気づいたんですけど、この話を書き始めるとまとめるの大変だから書くのサボってたら、今になっちまったんでしょうね。(案の…定…)


あー。そいで、魔女狩りなんですけど。
あの時代はですね。ひどい時代でした。いわゆる「普通の人たち」が、神という正義の名の下に、好き放題、人間が信じることのできない神性や未知を持つ人々を、笑いながら殺していった時代だったからです。
私が守ろうとしてきたその人たちが、そうするようになったことが、最初は理解できなくて。理解して次にもちろん、それを出来うる限り止めようとしました。教会の上の方にもなんとかできないのかとどれだけ努力したか分かりません。でも、できなかった。あれは時代のうねりでした。人間の最底辺の倫理と下品が膨れ上がり、愚かな人々が「でも、愚かな私たちだからこそ、神様は愛してくださるんでしょう。そう教会で言ってるじゃありませんか」と言いながら、市井にひっそりと暮らしているだけの、直感や自然の中の神性と暮らす、今で言えばスピリチュアルな人たちや繊細なただの一般の女性たちを、面白半分に血祭りにあげていったのです。
私がやっていた仕事を理解してくれたのは、むしろ後者の人たちでした。そうした繊細で、感受性の強い、優しい人たちが、己が愚かさと狭量さを一切受け入れられない人間たちに、ことごとく殺されていきました。戦争なんかよりよっぽど残虐だった。戦争はまだ平等です。この時代、人間がどれだけ救いようのない生物であるか、私は刻み付けられてしまった。
時代の流れで、あれはやらないといけなかったのはもちろん分かってます。常に神と対話してきた私なので、どうにもならなかったことぐらい、当時だって分かってました。もし神はいないなどと言えたら、どんなに楽だったか。神をもってしても、噴き出さなければならない愚かさがあるということが、本当に辛かった。目の前でここまでされて、なぜ私はそれでも、人のためにしか生きられないのか?人間がどれほど愚かで救う価値のない生物か、今、この目で見ているのに。

そんなわけであの時代、人間の愚かさが絶望的だというただの事実を、刻み付けられてしまい、その時に使用してた言語がたまたまフランス語だったから、嫌いになってしまっただけだったのです。とりわけ、愚かな人が喋る汚いフランス語が。(そういえば、ホテルで30秒で消したテレビは、若者が複数人でベラベラ喋っている三文芝居のドラマでした。)

ある種の人々には理解されないと思うのですが、私はいつの人生も、人のことばっかり考えて人のためになることばかりする人間です。これはもう、性根なので、治らないのです。フランス各地を飛び回って教会建築に尽力したのだって、地元の人々の拠り所となる神聖な場所を確実に作り上げ、神を心の拠り所として持ってほしかったから。それによって人が安定することができるのも、知っていたから。私は私の仕事にいつも誇りを持っていました。地元の人たちとよく話をして、その上で下すべき決断は下し、根気強く話し合い、最善を尽くしてきました。それもこれも、市井の人々のため、それだけです。教会の権力者たちは苦手でしたけど、自分を自由に動けるようにしてくれた上司(ちなみに母方のじいちゃんでした。笑)
でも、それで、考え直さざるを得なかった。本当に「人のためになる」とは、一体何なのか?自分を置き去りにすることではないのは分かっていたので、この時代の私は最大限、人生を謳歌していました。正直めちゃくちゃモテましたし、仕事に行く先にはいつも愛人が。(笑)そして、生涯のパートナーもいました。私のこの生涯で信用できたのは、このパートナーとあと数人の関係者だけでした。

で、それでも、さらに考え直さざるを得ない。と確信した結果が、今回の私の人生につながっています。私の一つの信条が、すなわち「芸術」だったのです。
同時期、「芸術は人類への奉仕であって、自己顕示欲や自己実現のためではない」という言葉に出会い、あ、私が思っていたことは真実だった。と確信しました。私にしてみたら、スピリチュアルの仕事って、私利私欲なんです。私が個人的なリベンジがしたくてやってる仕事。あの時代、魔女狩りに遭った人たちは、正しい教育をすることで救えたはずだった。でも、できなかった。だから今生、そのリベンジで、教える仕事をしてたりします。これも私の中では大事だった。
そして実は芸術こそが、本当の奉仕なんです。つまり、芸術は「この世界は美しい」という讃歌でしかないから、なんです。無私の奉仕は、芸術の方なんです。

これで、私の中で、全てが符合しました。私が感じていたことは、すべて根拠のあることだった。
人間の愚かさに絶望して、それでも絶望という選択肢はないという私の深い確信が、この人生という確信へつながったのです。

と、いうわけで!
善は急げということで。フランス語を10月から、習い始めました。もう、アルファベットすら読めない段階だったので、いつもなら個人の先生を探すのですが、もうこれは…学校行った方が絶対早いよ…。。と思ったので…。
正直大変なんですけど(前世が文盲とは言わないけどあまり読めてなくて喋る専門だったみたいなので、今の私の「文字を読めるようになりたい」という主義と合致しないんですよね…。昔の私に聞いても「なんとなくだ!なんと!なく!」と脳筋な発言をされるので参考にならない…w)、週二回、コツコツ通って、ううっ…て言いながら、頑張ってるところです。。
本業の方も、心強い友人に力になってもらって公式インスタを始動させたりして、少しずつ、始めたところです。
あ、絵とか興味ある人いらっしたら、インスタ見てみてね。@yukikotaimaです!名刺がわりのポートフォリオ。これからちょこちょこ絵を入れたり入れ替えたりして動かしていきます。

まー、そうやって「自分の人生をこれから本当に生きる」とやっと決心することができて、実際に動き始め、そのためにとフランス語の学校に行き始めた、その瞬間って感じですよね。チェコに引っ越して早6年、一切なかった出会いがあるっていう。なんだよ。早いんだか遅いんだか分かんないよ。。彼氏いなかった歴含めるとそれはまぁもうすごい長さなんですけどね…。とりあえず、相手もマイペースっぽいので、ちょこちょこ会ってのんびりデートを楽しんでます。ワイン飲んで喋って帰るだけ、みたいな感じなんですけど。(笑)
ただあまりにもこういうことがずっとなかったので感覚が分かんなくて、最初はけっこう…動揺しました…。。今は「とりあえずマイペースに楽しめばいいか」てなったんですけど、ちょっと動揺したよね…。自分の中にある思い込みみたいなのを今一度リセットするのにちょっと苦労した。。(まだしてる。笑)デートする相手もいなかったこの長すぎる年月って何???ていう速度だったけども、まぁこうなるだろうことは分かってた…。はぁ…(?)

というわけで、コメントとかでみんなの恋愛話とかも聞かせてね!まってるぜ!🖐(あらぬ方向でのシメ)

なぜ限界を自分で決めるべきではないか。

年食わないと分からないことって一杯あるんですよ。
その一つが私にとってのこのトピック、「限界はなぜ自分で定めるべきではないか」です。

人間をずーっと観察してるとね。この年になってすごいくっきりしてきたの。
その程度の器の人間は、ちゃんとそこで成長が止まるということに。
器の大きい人だと、ぐんぐん成長していく。時が来て素材が来れば本当にスクスクと伸びる。それは何歳になっても。かなりお年を召しても、全然変わらない。もちろん体力の限界値なんかは多少はあるんだけど、ご存知だろうけども筋肉というのは基本的に何歳になっても成長することができるし、精神もそう。新しいものに心を開いておき、自分の成長の時が来たら素直に受け入れ、常に耳を傾けつつ、最終的にはちゃんと自分のハートに聞いて決めて、またしなやかに変化していく。そういう人は、ちゃんといる。
多くの場合、成長は止まる。変化を受け入れるというのはすごくしんどいし、自分と正直に向き合うっていうのはものすごい精神力が必要だから、大抵の人はそんなこと続けられない。若くても同じ。それをしてこなかった人は逃げ続けるし、ある程度がんばってもすぐ「まぁここでいいや」と止める。そして向かう矛先は、他人。他人を批判し、非難し、優越感を得ることで、つまり相手を下げることで自分が上がっているという錯覚に逃げる。そいつの器?小さいに決まってるだろ。

で、その人たちを見てて、そうじゃない人たちも見てて、分かったこと。
器の小さい人たちは、ある程度まで来ると、成長を止める。だって、無理だから。限界だから。止める。
彼らはもうそれ以上成長できず、他者への批判にすり替え、決して己への批判へは耳を貸さない。自らがいかに成功しているかという話だけを続け、休みがなく人間的な生活をしていないことを誇りとする。かわいそうに。なんて貧しい人生なんだ。

私は貧しくないから、そうじゃない人たちと親交が深い。そして気がついた。こちら側の人たちは、素直で賢く、謙虚で、そしてきちんとハートと向き合う。人と向き合う時もそのようにする。自らが知らないこと、わからないことがたくさんあるのだとちゃんと知っているから、謙虚でいられるし、他者を思いやれる。というか、それ以外の態度は非常に心地悪く感じるので、そうじゃない人たちとは付き合えなくなる。
こちら側の人たちは、成長を止めることがない。なので、自分で「私は、この程度で十分…」なんて言ってはいけない。その時もし、戦うのだとするのならば、その己の弱さとは向き合わねばならない。なぜなら、その弱気が自分を止め、居心地の悪い人たちと同じような態度を自分に強いることとなり、すごく、生きづらく感じるからだ。

どこで止まるか、止まるなら止まればいい。見ていればいい。もし本当に限界だと言うのならば、ちゃんと自然と限界はいつか来るのだ。自然の摂理は優秀だ。その人以上のものも、その人以下のものも、決して与えられず、うまくはいかない。だから、それでいい。うまくいかなかったものには必ず理由がある。その理由を正確に理解できれば、モヤモヤは吹っ飛んでいく。
理解するためには、誠実に、実直に、己にも他者にも素直に生きることを積み重ねていくことだ。
たとえ大きすぎるチャンスを得て、無理だ!私にはできない!と思ったとしても、できないからやりません!と言わずに、怖いけど頑張るからサポートしてもらえますか!?と言うべきである。そうすればほぼ100%、それを支えてくれる人がどんどん出て来るからだ。人も天の助けもインスピレーションも導きも、存分に与えられる。己の道を素直に歩む人には、必ずそれが与えられる。それが自然の摂理だからだ。

だから、自然の摂理のままに行きましょう。 :-)

自分は毎日、新しくなる

2018.08.26 22:40|for my Spirit
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磨いた途端に友達のとこにお嫁に行ったコーパルさんと、今セルフメンテのお供をしてくれてるムーンさんとアンバーさん。
最高でござるよ…ありがとう…



そうそう、さて、新しくなった自分についてですね。
いつになく簡潔になる…といいな?(なるかなチャレンジ)
どんどん話が飛びますが、まぁつらりとついてきてください。

今月は「穏やか驚天動地」でした。。!
今までの考え方や行動のクセを一掃されるプロセスと、新しくなった自分にぴったりの人たちとの出会いや再会やマメなコンタクトなどがあって、一気にスッキリしちゃいまして。
水星逆行始まった時は、あ〜〜やりづれ〜〜〜!!てなってたんですが、気づいたらそれがきっかけとなって過去のいらない壁というかガンコな黄ばみみたいなものがボロンボロンをあっという間に崩れてザ======ッッッと流されていって、おぉ、サヨナラ………てなって今、て感じです。

なんというか、毎日がくっきりと新しくなってきてる感じ。
毎日が新しくなるのって、考えてみりゃぁ当たり前なんですが、当たり前じゃなかったのは今までの自分の生活を振り返れば一目瞭然。そして、今はすごくフィジカルに生きている感覚と、その喜びが全てです。今までになく生き生きとしていて、楽しい。生まれ変わったような感じがしています。それもごく自然に。
古い方法はもうどんどん脱ぎ捨てて、重苦しい「責任」という感覚を全部どっかに捨て去って。みんなで楽しく、気楽に、あかるく、そして適切なGiving & Receivingをしていける、もうそういうことだけをしていこう、それが健全な肉体と精神ということだからさ。という感覚とモードになりました。
毎日が新しくなる生活ね、単純に楽しいですよね。生き生きしてて。身も心もすごく生き生きしてる。友達が私に会うたびに「なんか、また若返った!」って言うんですけど、ほんっとに子供みたいに暮らしています。でも、本来これが普通なんですよね。私たちは神様の子供だし、死ぬまで成長を続ける子供なんですから。これが普通。
ほんと、今まで苦しかった理由がよく分かった。
昨日の自分は今の自分じゃない。ていう、言葉にしたらすごい陳腐なことだけど、毎日をその感覚で普通に生きてるっていうのは、前の自分からすると考えられなかったこと。それを今、当たり前に生きてる。
でもそのぐらい、元来の自分は短いスパンで時間というものを生きてることに、最近突然ふっと、気づいたんです。
で「なーんだ!!!!!」てなったんですよね。だったらそうしてあげようと。
いろいろ苦労や努力をしてきて今こういう境地に立てるようになったのは、よかったなぁ…と思います。私という歴史をこれからも大切にしながら、軽やかにもなっていきます。要はバランスですよね、いつも同じこと言っちゃいますけど。。
左右上下前後、重心、それを支える筋肉と真ん中に戻してこれる骨格。全部持ってる。足りなければ足せる、いらなければ引ける。
そんなシンプルなことが、心からありがたいです。

描いてる絵も、思えば2年前から流れ自体は始まっていたものの、私自身の元々の気質が「固めない」「完成しきらせない」「流動していく感覚を与えるようなもの」で、その美学自体が液体であるインクや墨を使って水と共に制作をすることによりさらに強まっている感じがしてきていたので、なんか全て繋がってるなぁ、とこれまた感じます。「生きている絵が描きたい」と昔から言ってたのですが、その生きているっていうのは、二次元の平面なのにも関わらず決して固まらない、凝り固まらない、ずっと変化し続けていくように感じられる絵、という意味だと思うのです。その生き生きとした感覚がないとダメなのかな、と。
私の絵を見せると100%、「You're very expressive」と言われます。前から言われてましたが、さらにそれがシンプルになった気がします。「君は、その線と絵があれば大丈夫だ」という言い方も、複数の何人かからポロッと言われて、そうか、そういうことなんだな。と感じたり。

あっ、仕事といえば、ちょっと前に拍手にコメントくださったMSさん、ありがとうございます!北欧神話に私の絵柄が合いそうと言ってくださって…!いやもう、正直舞い上がりました。か、描きたい…!!まずは北欧神話の本を読むところから始めたい。か、描きたいです。。唐突なインスピレーション大歓迎です、ありがとうございます…!最高に嬉しい!

なんか最近こうやって、まったく意図せずに暮らしていると、ふいっと素晴らしいアイディアが舞い込んでくるんです。そしてそれを実行するごとに、自分がどんどん新らしい自分へと、本来の自分らしい自分へと、そして見たこともない自分へと……勝手に更新されていくんです。
そしていざこういう毎日になってみると、そういえばこれが当たり前だったな…これって普通なんだよな、という感覚でもあって。なんかでも、毎日「普通」は書き換わるわけだから、それにただすらりと準じて動いていけばよい。という、一つの確信と安心と共に今は日々、動いています。


今年という年を8ヶ月生きてきて、思ってた以上に私は本質的に理解されている、という感覚も受けました。それが表面的なものでも利己的なものでもない、「愛」である、ということも。それは私をさらに今年、変えてくれました。なぜ今まで入ってこなかったのかは分かりませんが、それはこの記事にあります、自尊感情、自尊意識ということだと思います。
この記事はシェアしたかったので、是非お読みになってください。オラクルカードやってる人は、これがなくて苦しんでたり悩んでたり、理由がわからないという人がけっこう多いと思うのです。

https://soar-world.com/2018/07/26/keikotokunaga/

私はこの記事を読んで初めて、私が10年前からオラクルカードを通して学び、身につけ、不理解と戦い、取り戻したものが「自尊感情」であったことを理解しました。
で、そこでまたすっかりストン、と腑に落ちちゃって。
「自分を大切にしてね」と周りに言われて、????意味わからん…って思った人は、これがない人です。私もそうでした。全然なかったんで、本気で意味わかりませんでした。今は分かりますが、わかるようになってから、本当に世界が変わりました…!チェコ人の友人と話した時も、これがない人って本当に多いよねという話になったので、個人主義のヨーロッパでもそんなに変わらないんですね…。(体感では日本よりはマシだと思っていたのですが…)だからオラクルカードにもSelf-Respectがあるわけですね。

このブログの読者の方でもきっと、バッキリふた通りに分かれるでしょう。
「あ〜これ、持ってない人多いよね〜、なんでだろ〜〜」っていう人と、
「え?自尊感情って何?え…?……もしかして私、これがなかったの?」と思う人。
そのぐらい、持っている人と持っていない人で、あまりにもこの世界の見え方は分かれてしまうのです。
つまりまず、自尊感情を持った人たちを育てる社会を作らなくてはならない、ということです。
私は自分の中の癒しが自然と一山超えた現在、これまた自然と「社会を変えていく必要」にフォーカスしていく自分を感じました。それはごく自然に起こりました。これがもともとの自分の人生の目的の一つでもあるからです。

奇しくもこの記事を見つけたちょうど1ヶ月前、私は自分の中に不必要に居座り続けていた「男性優位の価値観」の存在に気づいた頃でした。知らず知らずに自分を苦しめてきたこの考え方が居座っていたことに、ある日突然気づいたのです。かなり、ゾッとしました。で、これをすべて私の中から完全に追い払う!私には必要ない!今すぐに出て行きなさい、とその概念を追い出していた時期、この記事に出会いました。これでさらに私自身を見つけるための変化は加速し、追い出しが終わったとおぼしき頃から思考や主義の合う人たちにどんどん出会ったり再会したりすることが増えました。外側の性別ではなく、中味が「同じものを見ている」と感じる多様な友人たちに、ごく自然に日常の細部がつながっていき、生活の感覚自体ががらりと変わりました。
ジェンダー意識についても、私は「一人の人間の中に男も女も両方いるし、さらには同じぐらいいるのがちょうどいいバランス」という認識です。体の性別は「それはそれだよね」ってことで普通に受け入れて楽しんでいますし、メンタルの性別はというとこれはまた別の話なんです。例えば、聖人と呼ばれる人たちを思い浮かべるといくらかわかるのではないでしょうか。男性性と女性性は必ず釣り合っているものです。また、周りにいる、尊敬できる人たちを思い浮かべてください。力強さと柔和さは調和しているはずです。これは体の性別は一切関係がありません。内面の話ですから。
このように、私が話が合う人たちには、なんというか、ゲイ的な人が多いのです。ジェンダーとしてのゲイもそうですし、そういう思考を持っている人たちもです。つまり、一人の人間の中に両方を自然に受け入れてる人と私は話が合うのです。それが自然な姿だと感じるからです。
こうして、おそらく私はこの1ヶ月で、ジェンダーに関する世間的な意識も全て捨てる決意をしたようです。もともとこういう主義の元に生きてきたので、これもごく自然でした。そしてちょっと縁あって、こっちの大学院時代のエクアドル人のゲイの靴職人の友達とコラボレートを始めたところだったりします。
なんかもう、こういうことがサラーッと起きて、サラーッとコミットしていくんですよね最近。それが本当にただただひたすらに、自然で、気分がよく、フィジカルに生きることができている自分に日々感謝しているのです。

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試し始めたばかりですが、靴職人の工房で絵描くなんて想像したこともなかったから、めっちゃ楽しい。。アイディアお互いに出し中です。技術的にももっと試してから、モチーフを作り始めてみます。



そして今月は縁あって、人生の大転機を迎えたこっちでの日本人の親友と週に3回は会って話し込むというプロセスを繰り返してたんですが、お互い二人とも前向きで素直で理解が早く、その進行がまたものすごい勢いで進むんですよね。それで、今年しょっぱなに初めて得た「私が世界を愛しているだけではなく、世界も私を愛していたのだ!」という気づきにつながる、今年第二の気づき「不理解しかなかった世界は、過去のものとなった。私は自分のメッセージをそのまま発信してもいいのだ」が、気づいたらいつのまにか、私の新しい基礎土台として完全に定着してくれたのです。
まだ完全には慣れていないかもですが、気になりません。完全に違う世界に到着して、もうその冒険は始まったのです。

過去に囚われていた自分。昔あったことを許せずにいた自分。前にあったことがまた起こるのではないかと怯える自分。
そういう一つ一つの自分と、今月は自然と正面から向き合って、そうだよね怖いよね、許すのとかまぁ無理だよね、またあったら嫌だもんね。と淡々と優しく受け止めていたら、いつのまにか「あ、でも毎日自分って新しくなるんだから、昨日までのこと忘れてても全然不思議じゃないんだな」って自然と思うように、なっていたのです。
過去を押し流していく新しい「今」というものに、自然に身をまかせるようになったら、なんだ、それだったのか。って。

なので、過去にあったことを忘れるとかなかったことにするとか何も感じないんじゃなくて、それはそれだし、今日の私は今日の私であって、別物でしょう。というごく自然な認識にチェンジしただけ。
で気づいてみればそれが「今この瞬間」を尊び、喜び合い、「生きる」ということだった…んですね。
いやもう、今となってはこれ以外の生き方、考えらんないわ。これでいきます。いや、よかった。多分人生初だよ。こんなに、流れることを自分に許可したのは。ようし、毎日許すよ!がんばる!


まぁそんなわけで、これからはもともとの素の私のとおり、立派なアホとして生きていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
なんと明日から母が一週間だけ、お友達を連れて来てくれるんで、ちょっと皆で遊んでからまた9月から元気にやっていきますんで✊みんなも夏休みのしゅくだい、終わったかな?💮
どうぞお元気で残りの8月を!

では🖐また〜♪

癒しってすごいな。

て思うんですよ、最近。
私の世代のアラフォーは分かってくれると思うんですけど、癒しっていう単語が世にはびこって流行ったとき、ちょっと抵抗感ありませんでした…?あの、私はだいぶありました。。ははは。
それもあってか、癒しって言葉自体、今までそんなにがっしりと実感を伴って「いいな」って思ってはいなかったというか、まぁこんなようなアレだよね…みたいな存在だったんですけど、
今、癒しという言葉って、自分がやりたいと思って続けてることの全部を意味するんじゃないかなと。改めて、感じるのです。

ここ最近、いろんな人と、「手放す」とか「変化する」ということについて、話し合ってみて。何かこう、必ず違和感が残る感じがして。どの人もみんな、「人はそのままでいい、変わらなくていい」ということを前提に「でも今のままで辛い状態があるのならば、それに選択肢を一つ追加する、別の視点から角度を変えて見るっていう、それだけ」っていうのがスピリチュアルの仕事の目的だということも共通しているのに、それでもなお、何かが噛み合わない、という感覚があって。
それって何だろう、て思っててふと、「癒し」の一言でなんか説明がついてしまう…のでは…てなって、自分でちょっと動揺したんですけど(笑)、あっでも、それなんだな、って。

誠心リーディングの会っていう変な名前で私は活動をしていますが、「ある意味での医師会」だとHPの説明に書いている通り、なんですよね。
医師ってのは基本的に、その人が持って生まれたものを変えるのではなく、その人の病を発見して治療方法を模索し、成果を出す=その人が健康な状態になることを手助けする役割じゃないですか。スピリチュアルも同じなんですよ。変化するとか、手放すとか、許しとかってのを苦手だという人も多いですけど、いいんですよ、捨てなくても、手放さなくても、変化しなくても。そうじゃない。「癒しは行われる」という確信だけがあれば、それでいいんです。癒しの結果、何か心のウェイトを大きく占めるものが、明るくポジティブな状態を思い描けるものになったりと割合は変わるでしょうが、何かが変わるわけでもないし、大切なものがたとえポジであれネガであれ、それがいなくなるんじゃない。言ってしまえば、増えていくだけ。苦しみだけではなく、楽しみという選択肢を追加して、辛さが成果を出さない時には楽しみや喜びという選択肢をとることで、健やかに継続して前に進み続けることができる、ていうだけです。本当に前に進めなくなったら、やることがなくなったら、お役御免ということで天国に帰る日が来ます。それまでなるべく、健やかに。そのための活動をしているし、自分自身もそのように、それを目指しているのが、私にとってのスピリチュアルの活動です。

だからもう、なに。「癒し」でいいじゃん。て、なったんです。
ヒーリング、手当て。それは実際のヒーリングを行ったり受けることでもありますし、それが言葉やイメージでリーディングのこともありますし、占星術などで自分がこうである「理由」を知って癒されることもあります。
「癒される」って、なかなかいい言葉です。悩みの種が、跡形もなく霧散するイメージ。もやもやぐわっとしてたものが、シューッとなくなって、あれ、苦しみが消えた…?って不思議な顔をしてお腹をさするような、そんな感覚がします。
お腹にずっともやもやを持ったままでは、日常生活も楽しめません。
でも、時が来て、準備ができると、そのモヤモヤがシューッと霧散していく…。あとかたもなく、消えてしまう。。はぁ、一体何なんだこれ……ヒーリング!?みたいな。(笑)なんか、これが「癒し」かな、と。
音もなく影形の一つも残らず霧散する…。怒りや悲しみや苦しみやつっかえや葛藤やなんかが、例えば動物なでなでしたらシュワ〜ンって消えていくあの感じ……はら、さっきまであったあの感覚はどこへ…?ていう。あれです、あれ。あれなんです。(語彙)
自分が何をやりたいかに、理由なんてなくていい、というのがオラクルカードでもよく出てくるモットーですが、癒されるのにも理由なんかいらないと思います。
そしてこの二つが、理由はいらないという点で共通するのは、それが「愛」だけをエネルギー源としているから、ではないでしょうか。私はそう思うのです。


個人的にも、「癒される」を焦点に当てて、変更した暮らし方が少しあります。
ここんとこずっとミカエルカードで、それにロマンスカードを追加して、なんというか、いい意味で暑苦しい日々を送っていたんですが(笑)ちょっとそれにも疲れたし暑いので、涼しい日々を送りたい…と思いまして…(笑)デイリーで引くカードを、最近どうしても使いたくなっていたフラワーセラピーに変えたのです。
お花のカードを日陰には置いておけなくて、鉢植えと一緒に置いてるんですけど、もう、普通に花がそこに増えた感じで、すごい自然…。すごい馴染み方……

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思ってた以上に癒される。。。

使い始めてまだ数日ですが、なぜか毎日元気に2枚ずつのセットでぴょんぴょんと飛び出します。愛いやつよのぅ…。いや本当普通に…かわいすぎか…。。買ってよかったフラワーセラピー…


そして。プラハの夕焼けです。

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本当に雲がきれいです。
私が来た頃は、空を眺める余裕がなかったからなのか…、でも今の方が空がドラマチックな気がするんですよね。。


静かな夜。オレンジの街灯が静かに光るだけの、夜。

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東京生まれ東京育ちでありながら、夏に山に行くと一生ここから出たくないと密かに本気で願う程度には人一倍敏感だった私は、どれだけ住んでも夜のネオンサインや白っちゃけた蛍光灯の光に慣れることはできませんでした。
この国に来て、もちろん街中のどセンターに住めばこうはいきませんが、郊外との境目あたりに今の家を選んだとき、夜の静けさに本当に心からびっくりし、そして、私には何よりの癒しだと痛感しました。
静かな夜、無音を感じられる夜…。
今でも、ネオンサインと蛍光灯のない窓の外を見て、ホッとします。
私はまだまだ、癒しのプロセスの途中なのです。ライフヒーリングとは、本当によく言ったものです…。
やっと最近、自分とはどういう存在なのか、分かってきた気がします。私に必要なものは、平穏、静けさ、穏やかさ、そして動くときは電光石火で瞬時に火をつけて動くことができます。
そのペースで生きて役割を果たせるように、この日々を積み重ねていきたいと思います。
🌙

ホメオパシーその後;ほぼ完治?

2018.06.09 10:59|日記。
無事にお休み明けまして元気に活動しております。
書きたいことたくさんあるんですが、今回はホメオパシーでの皮膚の治療の経過です。
冬〜春にかけてまだ毒を出さなくてはならず、皮膚的にはけっこう辛くて、5月からまたちょっと悪化したりもしたんですが、薬を摂り終わり先日診療に行ったところ、「あとは喉と肺の湿度調整ができるようになれば治るよ」とのことでした!!!
皮膚を悪化させていた最大の要因である連鎖球菌が全て体内から出たようでもう既に炎症の元は見られないし、内臓がチェコの空気に適応するのも全て完了したそうで、腎臓・副腎は治ったのだそうです。すごい!もうこの二つの事実だけで、私は本当に嬉しかったです…!やっと終わったんだ、私の適応。。。嬉しかった。
皮膚にまだ炎症が見られるのですが、どうもその炎症の出方が最近変わった、というのは理解してました。水泡が出たりもしてましたし、どうやら体内の水分調節がうまくいってないんだなというのと、乾燥らしいな…とも感じていたんですが、先生がそれ+その原因を説明してくれました。「肺が乾いている。その原因は、咽頭の乾燥。その乾燥が皮膚に出て、ひび割れる形で皮膚に炎症が起きている」と。プラス、「咽頭が乾いてると、プラハの空気から取り込んだ悪い物質を呼吸によって十分に肺から押し出すことができないので、溜まってしまいがち」とも。
これまた想像もしなかったような診断でしたが、確かにここ最近というもの、毎日毎日異様に喉が乾いていて、何を飲もうがどう水分をとったりしようがどうにもならなかったので、これか………!!!という思いでした。
内臓の適応は終わったんですが、体内の水分を自動で調節する機能だけが、まだ適応していないんだそうです。(日本の潤沢な湿度に慣れているので、チェコの乾燥した環境での自動調節ができてない)なので、その機能を改善し促進する処方をします、と。これで治ると思うけど、万が一治らなかったら9月に来て、とのこと。予約のとりづらい病院なので一応予約はしましたが、先生が「もう来ることはないと思う」と。その時友達があまり説明してくれなかったので(説明する内容が多すぎたので後で説明すると言って後回しにしてた。後で全部説明してもらって納得でした…)なので、お礼がちゃんと言えなかったのがちょっと心苦しいですが、でもこれで治るなら嬉しい…!
処方された薬をさっそく摂り始めたところ、喉、そして皮膚に、今までにない潤いを感じております。こんなてきめんに効く?てぐらい、効いてる。ここらへんの効き方は漢方に近いなと個人的に思う。処方が当たると抜群に効くんで、こういう症状に関しては本当に優れていると感じます。
まだ皮膚が潤いを保つ機能は薄いですが、喉、そして肺の乾き方が減っています。薬を取り終わる頃には、かなり快適になっていると思います…!

皮膚の炎症だけでも辛いですが、夏の季節に半袖が着られない、着るにも勇気がいるというのは、女子としてはわりと辛い症状です。今まで普通に生きてきたから、ありがたみに気づかなかったんだよね…。脚も炎症痕が酷いのと皮膚を紫外線から守りたいので、まだまだひざ下は出せそうにありません。街ゆく女性が普通にスカート履いてるのを見て、うらやましいなぁ…って思ってしまいます。でも、それなりのおしゃれを楽しもう〜と思っているのと、皮膚は大切にしてあげて、その上でじっくり完治を狙おうと。
皮膚には治る力がある!4年ぐらいかかっているくるぶしですら、よくなる時は一気によくなったしちゃんときれいに治るのも分かってる。なので、とりあえず無事の完治を祈っています。その上でまだやるべきことがあるなら、またやればいいのだし。
本当に、感謝です。
完治したら、新しいシーツを買いに行こう…。もうシミ抜きも諦めたぐらい血や汁がつきますから…こういう症状持ったことある方やご家族はご存知だと思いますが、本当もう、諦めてましたからね。。治ってくれるのをのんびりと待ちます。
よく頑張ってくれたね、私の体さん。ありがとうね。これからもよろしくね。



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こちらでは5月後半からはどこでもバラが満開!バラのシーズンです。
花が大好きな母と一緒に、バラの写真を撮りまくった休暇でした…!
けっこうWHRのサイトで花の画像はよく使うので、一年分の素材取れた(笑)
それにしてもこんなにバラをたくさん見たのは人生初だったので、感激しました…。素敵だった…最高にいい匂いだった……バラだけでブログ書けるぐらいいろんな体験をしました。
また小出しにしていきたいと思います♪笑
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Yukiko (WHR)

Author:Yukiko (WHR)
誠心リーディングの会(WHR)をやっていますYukikoです。
オラクルカードに関するあらゆること - リーディングセッション、オラクルカードを使いこなすための講座、オラクルxライフコーチング、オンライン勉強会(WHR Membership)、エーテリアルクリスタルヒーリング等を提供しています。2018年6月よりスピリチュアル職の自立した横のつながりを目的とするWHR職業人会を立ち上げました。
本職は絵描き(ウェブ) 、チェコ在住。

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