文章二つ

2015.06.13 15:11|オラクルカード哲学
今日はちょっと、参考文献のようなものをお知らせ。
こちらのブログ記事さん、是非読んでみてください。

http://www.dancerslifesupport.com/superman/

これは完璧主義者が如何に不完全か、ということが分かりやすく書かれてます。
努力ってのは根性論じゃなく、コツコツ積み重ねトライし続け実行をし続けるということだ、ってこと。


http://www.dancerslifesupport.com/correction-3/

こちらは、「理解」から「できるようになる」までには段階がある、ということ。五段階まで掘り下げてくれてるのはすごい!確かにこの通りです。
オラクルカードとかを通じた魂の学びでも、こういうことよくあると思います。でも、努力の方向を間違えずにコツコツと積み重ねていったら、いつのまにか昔なら乗り越えられなかった壁が乗り越えられていたり、とか。
つまり何でも同じなんですよね。
ダンサーさんは常に「肉体」という自分自身と直結した物質と向き合い続けて活動するので、この面が強く出るんだと思います。私も結局、子供時代の14年間という貴重な時間をずっと踊ってたわけだから、こういう考え方になったのかもしれないな。

ぜひどうぞ。

客観視と思いやり、前向きと後ろ向き

2014.12.14 21:55|オラクルカード哲学
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冬のプラハからこんにちは。
今日もカードの中味のお話。

過去の失敗とか恥の記憶とか食い違いとか人にかけた迷惑の全てを振り返ると、全部が
「自分を客観視できていなかった」
の一点に尽きるな、と最近つくづく思います。
最近は若い時ほど大きく人とズレたり違和感を感じたりしなくなったのは、自分がどういう人間であるかを他の人達との比較を通して理解した上で、えーと、その人たちはみんな「そのままでいいんだ」って分かったからこそ、やっと自分のことも「自分のままでいいんだ」って思えたっていうのと、
その「自分のまま」というのはどういうことなのかとか、他人から見たら一般的にどのように見えるかだとか、そのへんがやっと分かったっていうのかな?
自分をあまりズレない方法である意味「記号化」できたような、そんな感覚なんです。


「客観視」って、すごく苦手だったのです。だってどんな人間だって「自分のものの見方」でしか、ものを見れないじゃないですか。なのに「客」になんてなれなくない?って思ってたのです。でもまぁこの焦点自体が間違ってたんですけど。ははは。←
客観視という言葉が意味する中には、私は、なんていうのかな。「悪いこと」しか含まれてない気がしてたから、したくなかったんですよね。つまり、人から見たら私は悪いことだらけだろうぐらいにね、多分思っていたのです。しっかりしてないとか、独善的とか、自分勝手とか、なんかまーどうせそんなことしか言われないんだろうみたいな。ところが、それが間違っていた。「客観視」をできないことによって逃しているのはむしろ、自分の良い点や秀でている点であり、長所や利点であることの方が多かったのです。多分、客観視をしたくないなと逃げ回ってる人の殆どはこのパターンではないかと思うのですが、皆さんはどうでしょうか。
それと、客観視しろって言われるといつも、自分の考え方を否定されてるみたいで嫌だったんです、私。だけど多くの場合、自分の凝り固まった価値観を一度捨て去り、さまざまな意見に耳を傾けたり、他人の考え方を真に理解して、いつもの自分ではない視点で同じものごとを見てみる(それは例えば、神の視点や天使の視点などでもいいわけです)と、自分が、その物事には一つの価値しかないと思っていたものが、実はものすごい可能性をはらんでおり、どれだけでも見方を変えることができることに気づきます。そうすると、自分の価値観だけでものを見てたのがどれだけ損をしていたか、すごくよく分かるようになります。。そう、自分が自分の思い込みだけでいて、そのままネガティブを抱え込んでると、殆どの場合、損以外の何ものにもなってないのです。
なので、天使が「他の視点から見てみなさい」とか「ハイアーパースペクティブ」など、角度を変えて視てごらんと言う時っていうのは、そういうことだと思ってください。あなたが思っているより、世界には価値観が何十通りも何千通りもあるのに、何故その一つだけを選んで自分の可能性や関わる人達の可能性を狭めてしまっているのか?ということ。そのせいで拘束状態に陥ってしまっていることに気がつくために、思考の鎖を外す手助けを天使たちに頼めばいいんだ、ということです。

例えば私の場合ですと、私は自分の好きなことにしか目が行かず、決して妥協できない性格なんですが、そうすると自分の価値観でものを追求して何かユニークなものを産んでみんなで共有することができますし、人がそれぞれにユニークな存在であることを全肯定することになります。いいことも沢山ありますよね。ところが当の私は、自分は自分の興味のあることしかやろうともしない、価値も感じない、ダメな人間だ。というふうに完全に思い込んでいました。周りの人は誰一人としてそんなこと言っていないのに!です。その上、「どうせやりたいことしかやれないならとことん自分を磨いてやる!」と開き直れてなかったあたり、私の未成熟な精神をよくよく物語っています。自分はダメだから磨くのはこっそり「最低限」にしよう、みたいなとこがありましたね〜。プロ意識が高いのでその「最低限」が世間的には「やりたい放題」になってましたが…。(笑)最初から毎日積極的に勝負をかけて、爽やかに勝ったー負けたーと言い放てていたら、もっとずっとよかっただろうに!と思います。この年になってやっとそういう風になれたら、むしろ以前よりもずっとずっと楽しく感じるようになったのですが、以前は全てが怖かったな。競争も、勝ち負けも。自分が自分を否定しきってたので、他人に否定されるのが怖かったっていう状態なんですが、そもそも私の大切な人達は私のやってることを否定することはありませんでした。そうじゃない、架空の他人…いわば「世間」みたいな、そういう変なものを仮想敵にしてた気がします。いまは本当にそう思う。
なんか、いわば、何だろうな。私は常に自分の道を歩いてきてましたが、オラクルカード以前までは「後ろ向きでもいいからとにかく走り続けよう」という感じでした。背中をクルッと向けた状態だけど、でも歩みを絶対に止めない。常に前方向に歩いてはいるけど後ろ歩きで歩いてるっていうね。私は決して逃げなかったし、決して歩みを止めなかった。正面向いて風をきって走るのは無理だったとはいえ(笑)自分を大否定しながらも絶対に歩みを止めないあたりは、もうさすがと言っていいでしょう。よしよし。(セルフ慰労)
で、オラクルカードを引き続けるうちに徐々に「前を向いて歩くときが来たなー」と思うようになり、考え方を変え、前を向いて歩いても大丈夫かを何度も試しました。そして、よし、変えよう。と思ったのが、多分3年ぐらい経ったとき。いまでも覚えてるのが、確かとある友達に「なんかこう、わざと表裏逆にひっくり返したTシャツを『これがカッコいいんだ』といって着てたのが今までの人生なんだけど、これからはカッコいいTシャツは普通に着た方がカッコいいことに気がついたので、後ろ前とか表裏逆とかにしないで普通に着る。という感じなんだよね」と…。話した記憶があります…。…そうです、わたし、中二病なんです。w まぁでも、それがその当時の動かさざる実感でもありました。

なので、なんとなくまとめますと
「今まで後ろ向きで歩いて来た人は、カードに出会ったら前を向いて歩く練習をする時期」かな。っていうことと、
「客観視はむしろ祝福をもたらすことの方が多いよ」ってことです。
自分の思い込みは、むしろ一番低い「位置」、パースペクティブにあると思ってください。自分を恐らく最も狭める思い込みをしてる時にこそ、「考え方を変えるんだよ」と天使は的確に指摘してくれるはずです。その鎖を外すとき、必ず祝福の方が多い。客観視できないことこの上ない人間だった私が保証します。(´▽`)ふっ

それとね、そうやって自分のことを冷静に視て、ここが私の面白いとこやハードなところで、ここが自分のどうでもいいとこや弱いとこかぁ、と冷静に把握できてると、周りの人にとっても私たちが自分を大切にして歩んでいることが伝わって、ホッとされますよ。自分のことをなんにも分かってないで、無闇やたらに自分をホメまくったりケナしまくったりしてると、どちらを見てても周りは心を痛めます(笑)「この子大丈夫か…」とハラハラします。
そして、自分でちゃんと自分のことや、周りの人のことも、誤解や思い込みではなく「芯で捉えて」「芯で理解し受け入れる」ことを心がけると、がらりと変わりますよ。お互いを本当に大切に思うようになり、表面的なことや一時的なことに悩まされなくなります。それが本当の「思いやり」や「愛の視点」でもあるから、なんですね。


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プラハ、旧市街広場のクリスマスツリーとティーン教会。



それとまー、そうですね。
カードを始めて、考え方を変えていく中で
「自我というものがどうでもよくなってきた」
というのもあります、私の場合。
もともと固定された考え方ってのにあまり価値を感じてはいなかったんで(ただの反射的な恐怖心だったんだと思います)、自分で自分を守らなくても神様が守ってくれるし、柔軟でいた方が実は強いということ、そして柔軟でいることでむしろ本当の自分の「芯」、芯の強さが具体的にどこなのかが見えてくるだろうというのが分かったからというのもあります。
それと、海外に来て人間が絶対に学ばなくてはならないのは「柔軟になるということ」だからです。
これは絶対にこうである、これは常識的に考えてこうあるべきだ。そんなものは全部、まったく何の意味もなくなるのが「異国」というものです。そこで守られるものも何もなく、相手の考え方を受け入れることでしか明日を生きることが不可能だという場所に追い込まれて初めて可能なのが「柔軟になること」です。
この国に来てから、日本にいたままでは絶対に壊せないレベルまで、自分の壁をぶっ壊しました。
で、そのようにしていろんな考え方やものの見方にオープンにならざるを得なくなって壁をぶっ壊した結果、天使たちの言っていた通り、私は以前よりずっと力強く、自分の「ありのまま」を見いだしてそれを活かすことを考えて行動できるようになり、そして以前よりずっと自由でいられるようになったのです。

海外に来る意欲のある人は、絶対行った方がいい。
旅行だけでももちろんマシですが、居住に伴う苦痛と成長、そして得るものはハンパではありません。
どんなことでも本当に可能なのだと、私は外に出て初めて世界に教えてもらったと思います。
国内にしっかり定住する人ももちろん大事な存在。だから全員に勧めるわけじゃないです。
でも、もし、少しでも気持ちがあるのなら、諦めずに天使にお願いし続けてください。
叶いますから!

「オラクルカードリーディング」の特殊性

2014.07.17 01:27|オラクルカード哲学
只今、19日土曜日の『解剖学』デーに向けて、テキスト絶賛準備中なのですが(毎度のことながら大わらわ)
またちょこちょこと前書きや中味を調整したり書き直したりしながら進めているんです。
最も変わったのが、実は前置きの部分の文章です。殆ど丸ごと書き直しました。

ていうのは、今年お客さまを前にリーディングをしてみて改めて、オラクルカードってものの特殊性?に気付いたからです。
オラクルカードを占いだと思ってる人とか、オラクルカードリーディングしてるって言うと占い師やってると思う人がいるんですけど、なんていうかもういろんな意味で「オラクルカードは、占いができない」と言うしかないな、と。
だって占いだったら、例えば何か事業を考えてる人がいるとしたら、いついつの時期が運気がいいからそれまで待ちなさいだとか、それはコケるから辞めた方がいいわよとか、今は運気がいいけどこの後流れが悪くなるとか、あるじゃないですか?
ああいったことがオラクルカードははっきり言ってまったくできません。
…いや、もう本当にびっくりするぐらい、できませんそれは。(笑)
オラクルカードはどんな夢であれ絶対に否定しないです。やりたいならやりなさい!と全力で背中を押します。「やる」という前提でなら話ができますが、「その仕事は向いてないわよ」なんて一言も言いません。オラクルカードが言うのは、そのことからどれほど学べるのかや、その人の才能が真の意味で発揮されるのか、それとも本心をごまかしているのか、などです。つまり、その人自身の内面や意志、魂や心の声とその計画がズレていないのか?を確認しに来ます。それに対して返事ができない人というのは、外面ばかり気にして内面を気にしてないんですね。。だから、ある意味では占いよりずっと高度だとも言えます。受ける人の、人間としての意志の強さとか哲学が問われるようなもんなので…。
だから『占い』を期待してオラクルカードを買うと「え?何言ってるか分からない」ってなるんだと思うのです。
何しろ、何一つ「占って」はくれませんので…!

私はずーっと前から「オラクルカードは占いじゃないよ」と言い、書いてきましたが、今までこれほどまでにはっきりと分かったこともなかったので、ちゃんとここには書けてなかった気がします。
私だけの考え方だったら申し訳ないのですが、私が思うには占いの良さとか面白さてのは「データ哲学」だと思うんです。占いは学問なので、その見地から見た私のデータを占いは並べ立ててくれます。それを見て「ほうほう、私は当てはまるかな?」みたいな面白さがある。逆に言えばインスタントです。データを読んでるだけなので、「でも、自分はこう思う」とか「もっと、こういう自分に変わりたい」という欲求には占いは応えてはくれない。
でもオラクルカードなら、そうした成長への前向きな意欲にこそ応えてくれます。勇気を出したい人に応えてくれます。データを先回りして与えてしまう占いとは真逆の位置にあるのではないかと。

厳密に言うならば、これだ。多分。
あのね、きっとそういう人って「オラクルカードを買えば自分で占いができる」と思って買うんですよね。
ところが実際には占いっていうものは、すごくよくできた統計学なわけですから、数学+天文学+哲学なんですよ。(だから昔はバラモンしかやっちゃダメだったのよ。)つまり、占いを本当にしたいなら、やはり本格的に勉強しなくちゃダメなんです。
で、オラクルカード買ってみたけど、どうも思った通りに「占い」ができない。
なーんだ期待したのと違うじゃない、とそのうち本棚に眠ってしまう。

なので、「眠らせたままじゃなんだかやっぱりもったいない」と基礎講座を受けてくださった方、皆さん仰るのが「オラクルカードって、こういうものだったんですね…!」…です。(´∀`)すごく感動してくださる方が多いんですが、私、自分で教えておきながら実は、なんで皆さんがそう仰るのかよく分からなかったのです。自分自身はカードを買ってから格闘して約半年後、わりと自然に「あ、オラクルカードってこういうもんだ」って切り替わったので、そこから今に至った感じ…だったので。
うん、でも多分、こういうことなんだろうな…。。
リーディング活動を始めてはや3年。今、やっと分かりました。
基礎講座を受けて、オラクルカードってすごい使えるんだ!って思ってもらえるのが一番嬉しいです。
そして実際に楽しんで引いてもらいたいなって。それだけで冥利に尽きます。


私は、オラクルカード自体は既にヒーリングに近いと思っています。
心や考え方、今までの人生自体の捉え直しにアプローチしていくので、毎日徹底的にしかも楽しくライフヒーリングしていくのと同じだからです。一発逆転の手術より効くライフヒーリングって感じです。
なんでかっていうと、11日のトゥルシーカフェで完全に分かったのですが、
オラクルカードは「セルフカウンセリング」のための完璧な道具なんだな、と。
誰かにカードでリーディングをするっていうのは、その人が自分でセルフカウンセリングすることをお手伝いする絶妙のサポート役でしかないので、自分の人生について掘り下げて考えたことのない人にオラクルカードをやると「?」って顔で帰っていかれます。(笑)「考えない人」の代わりにこちらが考えてあげてしまうとただの干渉になるので、こちらには何もできないんですよ。これも、占いとは全く根源的に違う部分ですね。だって占いなら、その人が一言も喋らなくたって相当な部分まで「言う」ことができるでしょう?オラクルカードはね、相手が自分について考えた事がない場合、一言も発することができません。(笑)そればかりか、カードも一枚も出ません…。あれ、ほんと笑えますよ。不思議なぐらい、そうなんです。

オラクルカードってね、自分自身が生きていて、どうもおかしいと思うこと、自分が自分に感じる違和感や、もっと強くなりたいとか、もっと全力で生きたいとか、そういう時の違和感を徹底的に追求していって、解消して、自分も周りの人たちも、心地よくバランスのとれた生き方をしながら全力で夢に向かって生きていきたい、という気持ちにしか応えられない。意外と、不器用なツールです。だから、不器用にまっすぐ生きる人にはマッチします。適度に受け流してうまく生きられる人は、多分必要ないか、たま〜に受けてちょっとスッキリしたらそれでOKっていうやつです。
自分の違和感について自分に直すところがあるなんて到底思えない、なんて人にはやっぱり向きません。
人が自分の欠点を指摘してくれたら直すわ、なんていう人にも向きません。
自分で自分を、もっと高められる、もっとより善い生き方があるはずだ、このままで終わりたくない、と思ってる人は本当にオラクルカードが合うと思うし、逆に「もっと上に行きたい!!!」と素直に思えて何の迷いもなく努力できてる人には必要ありません(笑)。がむしゃらになりたいけど色んなこと考えて臆病になっちゃうような人にこそ必要ですし、いろいろなことを気にして我慢しがちな人なんかにも必要です。直感的にうまくやれちゃう人には必要ない道具だというのも不思議なところかもしれません。
心に傷のない人は使えません。(笑)し、イケイケで自分最高!と思ってる人には必要ありませんし。
どんな人だって悩みがあったり、妙なモヤモヤが頭から離れないとか、ありますよね。だから本当はそういう時には「誰にでも使える」有用なものなんです…が、これを「成長するチャンスかもしれない!」とか「徹底的に追求しないと納得できない!」ぐらいに思える、ある意味矛盾した生命力を抱えた人に向いてるんですよね。
モヤモヤが浮かんでも、どんなトラブルが起こっても、「無視していれば、そのうち忘れるだろう」と寝て忘れる人には、やっぱりオラクルカードは必要ないでしょうし、友達に話したらスッキリした♪なんてバランスがとれる人にも、やはり必要ないでしょう。
もっと言えば、少しのことで怯えてしまう人というのは、過去生で相当いろんな目に遭っていて、まだそれを乗りこなすパワーには自信がない、という、魂の成長の分かれ目というんでしょうか。これからパワフルに無敵になれるゾーンとの境目に立ってるような、魂の成長のターニングポイントに立ってる人に最も向いている気がします。これを乗り越えれば、恐らく来世からはもうちょっとラクになってくるでしょう。。何も考えずにバリバリと自分の「お役目」をこなして豪快に笑って死んでいけるかもしれません。狭間にいると自覚している私たちは、お互いを助け合いつつ、一歩上に「ヌケる」境目を一緒に乗り越えていくために、こうしてご縁をいただいて、オラクルカードをかこんで時を過ごしているのかもしれません。

本当にオラクルカードは「今」にガッツリ集中します。フォーカスします。
「今」生きてる実感がないなら、「今」幸せじゃないなら、この先なんとかなるとは思えない、というところまで来てないと、どうにもダメです。
そして、そう考える人は私が思ってるほど多くない、ということもなんとなく「悟り」ました、最近。
となるとまずオラクルカードは必要ない…。っていうね。
ちょっと極論なのかしら。。
でも、今と向き合う気のない人には意味がないツールというところはその通りだと思います。

チェコにいる時、突然親友が「君は、よくも悪くも『今を生きる女』だ」と言い出して、なんだなんだと話を聞いてみましたら「君は、今の自分の目に見えていない可能性については考えることができない。視界に具体的に見えてきたもの以外は君の思考の中に入ることができない。逆に、視界に一歩でも入ってきさえすれば途端にそれを現実のものとして認めるので突然考え始めることができるけど、でも今目の前にないものを自分の可能性として考慮に入れることは、絶対できない人だよね」と言われまして。
あ、もうほんとにその通りだな〜
と妙に納得してしまいました。
そして、あぁだから私はオラクルカードに向いてたのかもしれない、とも思いました。(笑)
ただ、「よくも悪くも」の悪くもの部分はこれからもっともっと変えていかなくてはなと自分でも思うところです…。もうちょっと自分を信じてお気楽野郎になれよ!と思うので。。そうじゃないともうこの先ダメっぽいんだよね。ほんと…。笑
自分に対する可能性は徐々に徐々に、ほんの少〜しずつだけしか拡大していけなかったけど、そんな私でもずいぶん変わってきました。。
今は、野望があるんです。
絶対に譲りたくない野望が!
ぬおーん!(´∀`)

そんな私が繰り広げます、いろんなものの集大成になりそうな土曜日のワークショップ。
楽しみです!(つД`)
…おやすみなさい!(つд・)


※あともう一つ超楽しみな、20日の「リファインフェアー」!
開場時間が10時半に変更になったそうです。
遊びに来てねー!
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Yukiko(WHR)

Author:Yukiko(WHR)
誠心リーディングの会(WHR)を立ち上げ、オラクルカードリーディングセッションやティーチングセッション、オラクルカードリーディング基礎講座、エーテリアルクリスタルヒーリングを提供しています。
もう一足のわらじはイラストレーター&画家。チェコ在住。

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